あなたは学生の頃、勉強は好きでしたか?
私は「勉強なんてやりたくない」って思ってました。
一方で、何か知りたいと思っていることが分かった瞬間って、
「あっ、そうか!」ってなりますよね。
そして、これって勉強ですよね。
では、僕たちは一体何をやりたくないのでしょうか。
勉強なんて役に立つのか?
今とかつてでは、小学校・中学校・高校での教育のやり方とか
現場の空気感とかは結構違うのだろうな、と思いつつ。
私は中学生3年生で受験の話題が出てき始めた頃、進学に関して、
「勉強なんかしたくない!」って先生に言っていたのを覚えています。
「したくなったらする!(今はしたくない)」とも。
もっと遊びたい、遊んでいたい、って思っていたんです。
中学3年生のとき、僕は本当に毎日を楽しく過ごしていました。
面白くもない勉強なんて、何の役に立つのかって思っていました。
一方で、授業中でもそうでなくても、
「なんで?」って思ったことの理由なんかがわかったときとかって
めちゃくちゃ気持ちいいわけです。
また、いちおう塾にも行ってましたし、
定期テスト1週間前にはそれなりに「勉強」はしていました。
言ってることとやってることが支離滅裂みたいですが、
思春期なんてそんなものでしょう。
ここで話そうとしていることは、
「勉強なんかしたくない!」って言っていた僕はいったい
何をしたくないと思っていたのかということです。
何を「役に立たない」と思っていたのか、ということです。
中学3年生だった僕は、国語の授業中、
方程式を例に出して先生に「勉強なんかしてどうなるのか」と訊きました。
(なぜか数学ではなく、国語の授業中です)
「『りんご1個X円』って、そんなん店の人に訊いたら分かるやん。」と
「できる人」たちから見たら、ほんとにバカな質問だと思うのでしょうが、
そんなことを訊いていました。
国語の先生は、
「それはそうだけど、そういう論理的なものの考え方を
身に付けるということが大事」的なことをおっしゃったと思います。
なにか、分かるような分からないような。。。
で、私の場合、方程式を習ったことで論理的な思考が
良くなっているのかどうかは分かりません。。。
今のところ、方程式を利用しないと突破できない場面にも
出会ってはいません。
そして、方程式なんて、もうどんなものだったのか
ほぼ忘れてしまっているかもしれません。
どんな光景を達成したいのか
では、方程式に何の意味もないのでしょうかというとそうではありません。
学校で習うことの多くが、
あちらこちらの領域で仕事として使われています。
なので、「勉強」が役に立っている人たちには役に立っているのです。
僕たちがまず自分に問うべきは
「自分は何をやりたいのか?」ということです。
自分はどのような光景を達成したいのか。
これは日常的なことで言えば、
おいしい料理が食べたい、と思ったとしたら、
それを食べている光景が達成したい光景ですよね。
そしてそのためには、
どこかおいしいレストランに行くか、
自分で食材を用意して料理するか、などの選択があります。
レストランを知って、そこに行って、ということを達成するには、
「知る方法」と「行く方法」を知っている必要があります。
スマホ検索かもしれません。
電車でその店のある駅に行くだけかもしれません。
だとしても、その方法をその人はどこかで「勉強」したはずです。
自分で料理をするなら、
さらにいろいろなことを「勉強」したはずです。
そして、意欲的な人なら、もっと賢くそこに行く方法を工夫するでしょうし、
もっとおいしく作れる方法を追求するでしょう。
「達成したい光景」と「達成しようという意欲」があって初めて
「勉強」というものが価値のある輝きを放ってきます。
勉強が何かの役に立つのか、意味のあることなのかは、
すべて、僕達自身が何をしたいのか、にかかっています。
どうせなら、役に立つ勉強をしていきたいですよね。
もし、以下の勉強が、
あなたの「達成したい光景」に当てはまりそうなのであれば、
「達成しようという意欲」があるのであれば、
この「勉強」は輝きを放ってくれるでしょう。
(特に、ただのお金儲けではなく、
それ以上のものを見越している方にとっては余計に)